ネリネの曲線、終わって。
coconkukanunity木村です。
今回作品の脚本・演出を努めさせていただきました。
ご来場いただいたお客様、また、ご来場難しくも応援してくださったお客様本当にありがとうございました。
簡単に作品について綴らせていただこうと思います。
【ネリネという花について】
この「ネリネ」という花は作品を作る前は全く知りませんでした。
まだ、作品が形になる前、日常を繰り返す話にするという漠然とした構想の段階で、何気なく11月の誕生花について調べておりました。
そこで11月17日の誕生花である「ネリネ」と出会いました。
花言葉:また会える日を楽しみに
この花と出会った時、魅了され、作品をに向けてスタートしました。
もともと、「喪失」というのを作品のテーマの核にすることが多く、その「ネリネ」の形状が彼岸花と酷似していることもあり、イメージが湧きやすかったです。
ネリネの花弁の曲線のように、緩やかにカーブを描いてまた同じ日に戻ってくる。
そんな作品にしたかったのだと思います。
今回の作品については、初顔合わせのタイミングでは、こんな漠然としたイメージのみを携えて、台本は一文字もありませんでした。
そんな中、役者陣のイメージから少しずつ台本に書き起こし、作品の完成に向かっていました。
こんな状態の中で、よく自分のことを信じてみんなついてきてくれたなと感謝でいっぱいです。
【華という人、圭介という人】
華という人物はきっと、どこか違う世界の自分、もしかしたら自分がこうでありたい、こう進んでいきたいという思いがあったのだろうと思います。
辛いという気持ちを抑えて、誰かに優しく、辛いことがあっても少しずつでも前にすすんでいけるような、そんな人間になりたいのだと思います。
変わって圭介はきっと、本来の自分を少なからず投影しているのかなと、思っています。
夢をおって、現実を少し雑にして、進んでいっているそんな自分の甘さのなかに、自分なりの救いの解釈が生まれたキャラクターなんだと、、、
華と圭介というのは、自分の中にある人間性を、分離させた存在なのかなと、作品が終演してから感じました。
【作品にあるはずの救いについて】
本来作品というのは、最終的に救いがあったり、みんな幸せになったりすることが多いのかと思います。
しかし今回の作品には救いはありません。全く。
華という存在の大切な人は結局死んでしまうし、蘭の恋人であろう語り部さえも、死を受け入れます。
そんな作品にわずかでいいので自分なりの救いを作りたかった。
なので、冒頭に、語り部の「この話は、嘘です、、、」と綴りました。
物語なんてものは嘘で、でもその中にある、自分が作品を通して伝えたい、あるいは、自分自身が気づきたい、当たり前が当たり前でない、毎日が同じようでも同じではない、限られた時間を必死に生きたいという願いを込めたかったのかもしれません。
【最後に、、、】
作品は、少なくとも僕が創る作品には、どこか終わってから考えなくてはいけない、スッキリしない場面をなるべく作るようにしています。
作品が終わり、少しもやもやして、一緒に来場されたかたや、ふとした時に作品について、劇場以外でも感じていただければという気持ちがあるからです。
嫌な気持ちにさせてしまってしまったら申し訳ありません。
ただ、作品をご覧いただき少しでも人生の記憶の一部となることができたのであれば、作品および関わる人間たちは本望です。
この作品を、自分自身を通して、これからも必死に人生に、生み出す物語に向き合って行ければと思います。
誠実に、少しずつでも、優しいスピードで、、、
あと、100年も生きられないのだから。。。
coconkukanunity木村
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